モーツァルト号 その12012年07月19日 09:47

1777年9月、21歳のモーツァルトは母親と就職活動のためザルツブルクを出発し、マンハイム・パリへ向かった。パリでは母親を亡くし、成果をあげられずに79年1月にザルツブルクに戻った。この旅行はマンハイム・パリ旅行と呼ばれている。

1989年5月にオーストリアのウィーンからザルツブルクを経由し、ドイツからパリを結ぶ特急EC(EuroCity)が設定され、モーツァルトと命名された(残念ながらマンハイムは通らない)。他にもECには音楽家の名前を付けた列車があるが、このネーミングは素晴らしい。
ドイツのミュンヘン駅で、オーストリアの機関車はドイツの機関車と交換。ドイツとフランスは電化方式が違うので、ドイツのカールスルーエ駅とフランスのストラスブール駅間はドイツの複数電源対応の機関車(181.2型)が牽引。ストラスブール駅からはフランスの機関車になる。

■2002年5月5日
EC 64列車 (モーツァルト)
ウィーン西駅(8:46)→パリ東駅(22:20)
 ※実際に乗車したのはウィーン西駅からザルツブルク中央駅(11:54着)まで。

ウィーン西駅前のトラム。左に見えるのが西駅。

ウィーン西駅の出発案内板。ECの右に小さくMOZARTとある。10番線からの発車だ。

列車の最後部。全部の客車がオーストリア鉄道(ÖBB)の所属。

モーツァルト号の全景。機関車は丸窓の1014型だ。

予約した座席はコンパートメント客室だった。予約票に私のウィーン西駅・ザルツブルク中央駅がある。

コンパートメント客室は外がよく見えないので、オープン客室に移動。

乗降ドアに張られた列車の号車番号(109)と行き先

ザルツブルク中央駅のモーツァルト号。機関車は国境と越えてミュンヘンまで。オーストリアとドイツは電化方式が同じ。

ザルツブルク中央駅の外観。モーツァルトの生家・住家からは少し離れた所にある。



【おまけ】 ドイツの複数電源対応機関車(181.2型)。2003年7月20日、フランスのストラスブールで。モーツァルト号もドイツ・フランスの国境はこの機関車を使用する。

【おまけ】 ザルツブルクのモーツァツトの生家。今は博物館になっている。