ブレンナー峠 ― 2012年08月18日 21:53
オーストリアとイタリアの国境のブレンナー峠はアルプスを越える他の主要な峠より低く、昔から多くの人がイタリアに行く際にここを通った。モーツァルトも3回のイタリア旅行ではブレンナー峠を越えた。鉄道はトンネルに頼らず1867年に開通した。
■2006年7月3日
EC 81列車
ミュンヘン中央駅(7:30)→ベローナ・ポルタ ヌオーボ駅(12:59)
※実際はインスブルック中央駅(9:26発)から。
■2006年7月3日
EC 81列車
ミュンヘン中央駅(7:30)→ベローナ・ポルタ ヌオーボ駅(12:59)
※実際はインスブルック中央駅(9:26発)から。
インスブルックの地名の基になったイン川。中央駅の近くを流れている。
朝のインスブルック中央駅。
インスブルック中央駅に到着したオーストリア鉄道の電気機関車(1116型)。客車はドイツ鉄道の所属。
乗降ドアにある行き先票(車内から)。
並行する高速道路。ヨーロッパで一番高い(190メートル)ヨーロッパ橋の近く。
ブレンナー駅に到着。
オーストリアは交流15,000ボルト、イタリアは直流3,000ボルト。この機関車はイタリアの電源には対応していないので、ここまで。駅名はイタリア語とドイツ語の両方で書かれている。
架線がイタリアの電源に切り換わり、オーストリアの機関車を引き上げるために小さなディーゼル機関車が登場。
イタリアの電気機関車を待つ列車。右はイタリアからのローカル列車。
イタリアの電気機関車が自力で入って来た。遠くにさっきのオーストリアの機関車が見える。
オーストリア側の所定の留置場所に移動中。
間もなく出発だ。
推進運転のイタリアのローカル列車とすれ違い。
フォルテッツァ駅で小休止。
ボルツァーノ駅。ここも両方の言葉で表示。
食堂車で昼食。まずサラダとビール。
そしてソーセージ。ビールをお代わり。
食堂車の各テーブルには、昼だがランプが灯っていていた。
食堂車の外観。ベローナ・ポルタ ヌオーボ駅で。
ベローナ・ポルタ ヌオーボ駅に到着した列車。
回廊列車 その1 ― 2012年08月05日 15:29
国内列車だが、距離的・時間的に短い、あるいは飛び地のために他国を経由する列車がある。回廊区間は国内扱いのため原則的に停車はせず、乗降ができない。
■2006年7月2日
566列車
ウィーン西駅(13:30)→ブレゲンツ(23:05)
※実際に乗車したのはザルツブルク(16:31発)からインスブルック中央駅(18:30 着)まで。
ザルツブルグからインスブルックに行くには、オーストリアを行くよりはドイツのローゼンハイムを経由したほうが約50キロ短い。その上、ドイツ経由のほうがオーストリア経由よりも平坦だ。そのため、多くの列車がローゼンハイム(正しくはその手前)を経由する。
■2006年7月2日
566列車
ウィーン西駅(13:30)→ブレゲンツ(23:05)
※実際に乗車したのはザルツブルク(16:31発)からインスブルック中央駅(18:30 着)まで。
ザルツブルグからインスブルックに行くには、オーストリアを行くよりはドイツのローゼンハイムを経由したほうが約50キロ短い。その上、ドイツ経由のほうがオーストリア経由よりも平坦だ。そのため、多くの列車がローゼンハイム(正しくはその手前)を経由する。
ザルツブルク中央駅の列車の編成表示盤。566列車は上から2番目。
ザルツブルク中央駅を出るとすぐに列車はザルツァッハ川を渡る。進行方向左手には丘の上にホーエンザルツブルク城が見える。オーストリアとドイツの国境はもうすぐで、回廊区間に入る。次の停車駅はクフシュタイン駅だ。
食堂車でウィーナーシュニッツェル(カツレツ)とビール。この日は日曜日で混んでいて、珍しく相席だった。
回廊区間を終えて、クフシュタイン駅に到着。右の赤い機関車はドイツの機関車。青と白の機関車はイタリアの複数電源対応の機関車。ドイツ・オーストリアは交流15kV、イタリアは直流3000V。
クフシュタイン駅を出発。こちらにも複数電源対応の機関車が待機。貨物輸送会社の所有と思われる。駅の後ろにそびえるのはクフシュタイン砦。
途中の駅(Wörgl駅か)で見たローカル列車。
インスブルック中央駅の566列車。列車はここから西に向かい、スイスの国境近くまで行く。
反対のプラットホームにはイタリアからの国際列車(EC86、ベネチア・サンタルチア駅→ミュンヘン中央駅)が。
モーツァルト号 その2 ― 2012年08月01日 17:45
ウィーンとパリを結ぶ列車・モーツァルトは2002年12月14日で廃止となり、翌日の12月15日からウィーン・ミュンヘン、ミュンヘン・パリの2つの列車に分割され、前者がモーツァルト号の名前を引き継いだ。
■2006年7月2日
EC 68列車 (モーツァルト)
ウィーン西駅(8:22)→ミュンヘン中央駅(12:30)
※実際に乗車したのはウィーン西駅からザルツブルク中央駅(10:59着)まで。
■2006年7月2日
EC 68列車 (モーツァルト)
ウィーン西駅(8:22)→ミュンヘン中央駅(12:30)
※実際に乗車したのはウィーン西駅からザルツブルク中央駅(10:59着)まで。
ウィーン西駅のモーツァルト号。機関車が新しい1016型に変わった。
列車の先頭はファーストクラス。客車はオーストリア国鉄の所属。
ホテルで朝食とらなかったので、食堂車でサラダとビールの朝食。
ビールを追加。奥に見えるのはランプで、夜は各テーブルのランプが点灯する。
改良工事が終わったリンツ駅に停車。モーツァルトはここリンツで交響曲第36番・リンツ(KV.425)を作曲した。食堂車のメニューはスタンドに立てかけてある。
ザルツブルク中央駅に到着。線路改良工事で所要時間が2002年より短くなった。機関車は終着駅のドイツのミュンヘン中央駅まで牽引する。
ヨーロッパの主要駅では列車の編成表示盤をよく見かける。68列車・モーツアルト号は下から2番目にある。
ザルツブルクはドイツとの国境に近い。オーストリアとドイツは電化方式が同じなので、ドイツの電気機関車が乗り入れてくる。
モーツァルト号 その1 ― 2012年07月19日 09:47
1777年9月、21歳のモーツァルトは母親と就職活動のためザルツブルクを出発し、マンハイム・パリへ向かった。パリでは母親を亡くし、成果をあげられずに79年1月にザルツブルクに戻った。この旅行はマンハイム・パリ旅行と呼ばれている。
1989年5月にオーストリアのウィーンからザルツブルクを経由し、ドイツからパリを結ぶ特急EC(EuroCity)が設定され、モーツァルトと命名された(残念ながらマンハイムは通らない)。他にもECには音楽家の名前を付けた列車があるが、このネーミングは素晴らしい。
ドイツのミュンヘン駅で、オーストリアの機関車はドイツの機関車と交換。ドイツとフランスは電化方式が違うので、ドイツのカールスルーエ駅とフランスのストラスブール駅間はドイツの複数電源対応の機関車(181.2型)が牽引。ストラスブール駅からはフランスの機関車になる。
■2002年5月5日
EC 64列車 (モーツァルト)
ウィーン西駅(8:46)→パリ東駅(22:20)
※実際に乗車したのはウィーン西駅からザルツブルク中央駅(11:54着)まで。
1989年5月にオーストリアのウィーンからザルツブルクを経由し、ドイツからパリを結ぶ特急EC(EuroCity)が設定され、モーツァルトと命名された(残念ながらマンハイムは通らない)。他にもECには音楽家の名前を付けた列車があるが、このネーミングは素晴らしい。
ドイツのミュンヘン駅で、オーストリアの機関車はドイツの機関車と交換。ドイツとフランスは電化方式が違うので、ドイツのカールスルーエ駅とフランスのストラスブール駅間はドイツの複数電源対応の機関車(181.2型)が牽引。ストラスブール駅からはフランスの機関車になる。
■2002年5月5日
EC 64列車 (モーツァルト)
ウィーン西駅(8:46)→パリ東駅(22:20)
※実際に乗車したのはウィーン西駅からザルツブルク中央駅(11:54着)まで。
ウィーン西駅前のトラム。左に見えるのが西駅。
ウィーン西駅の出発案内板。ECの右に小さくMOZARTとある。10番線からの発車だ。
列車の最後部。全部の客車がオーストリア鉄道(ÖBB)の所属。
モーツァルト号の全景。機関車は丸窓の1014型だ。
予約した座席はコンパートメント客室だった。予約票に私のウィーン西駅・ザルツブルク中央駅がある。
コンパートメント客室は外がよく見えないので、オープン客室に移動。
乗降ドアに張られた列車の号車番号(109)と行き先
ザルツブルク中央駅のモーツァルト号。機関車は国境と越えてミュンヘンまで。オーストリアとドイツは電化方式が同じ。
ザルツブルク中央駅の外観。モーツァルトの生家・住家からは少し離れた所にある。
【おまけ】 ドイツの複数電源対応機関車(181.2型)。2003年7月20日、フランスのストラスブールで。モーツァルト号もドイツ・フランスの国境はこの機関車を使用する。
【おまけ】 ザルツブルクのモーツァツトの生家。今は博物館になっている。
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